こんばんわ
さてこの前予告したこぶちざわ美術館の塚田館長のことについて今日は
紹介します。
とにかく、一つの生き方として素晴らしいと思いますが、盛和塾の稲盛塾長や
他の方と共通するところが多々ありました。
そうです、やると決めたら徹底的にやり抜くのです
!!
大切なのは、「徹底的」「やり抜く」です。
昔から塚田さんの知っている、昆虫商の人のコメントがあとで出てきますが、
昆虫の標本もたとえば、今月10箱作ると決めたら何がなんでも10箱作られた
そうです。
そうです、必ずやるのです
!
これは、世界中の成功者の共通キーワードです。
ここの点をこれから紹介する文章の中から読み取っていただけければと
思います。
皆様が「がんばろう!」という気持ちになれば私もうれしいです!
塚田悦三さんは21歳のときに決意して、26歳で会社を起こし、
20年で会社を辞め、趣味に生きようと決めたそうです。
では、詳細は下記の文章を見てください。
「幸福の条件はお金と時間と健康と趣味」
「二一歳の時に昆虫を趣味にすることに決めたの」
塚田さんはそう言った。上京し、貧しい暮らしをしていた頃のことだ。
「人生を墓場から見通してみたの。死ぬときに後悔したくないってね。働くだけで終わるなんていやだし、それに、生きてて困るのは退屈でしょう。だからいい趣味を見つけたいと。虫をみてると地球の歴史が分かるって思ってね。でも、最初は無理矢理好きになったんです。こんな馬鹿馬鹿しい虫けらって思ったこともあったけど、ここを乗り越えないと没頭できるまでにはいかないそって。寝食忘れるほどできて趣味だよね」
塚田さんは語る。世界有数の昆虫コレクターは、虫好きが高じて生まれたのではなく、努力の賜物なのだ、と。
戦中の一九三九年、松本市の生まれ。子供時代は、随分貧しかったそうだ。昆虫採集は誰でもやってたことだが、夢中になったことはあった。中学を卒業すると、米屋に勤め、定時制の高校に通った。成績優秀で学長に勧められ、給料と同じだけの奨学金をもらって普通科に移った。
卒業後、父が借金の肩に息子を働かせると約束していた会社に就職。三年間の約束を果たした後、上京した。
二一歳。人生を見通した。
「随分苦労しましたからね。もう大人でした」
幸福になるために必要なものは、お金と時間と健康と、趣味。勤め人じゃたいした金は手にできない。二六歳の誕生日に独立して事業を始め、四六歳からは趣味三昧の生活をする、と決めた。
二三歳までは職を転々とした。デパート、タオル屋、靴下屋、テレビ局で荷物持ち、映画の大部屋俳優...、二年間で十二の仕事を経験した。
「資本金がないから、事業するには経験と思ったのよね。それだけじゃないよ。食べるのに必死だから、少しでも条件のいいところと思ってね」
二十歳そこそこの若者は、働きながら二人の妹を大学に通わせた。
二三歳頃からの三年間はプラスティック関連の貿易会社に勤務。そして、決めたとおり二六歳の五月、誕生日に独立した。
「独立したっていってもね、売るものもないのよ。名詞だけ作って、日本橋あたりの会社をそれこそ、毎日毎日くまなく営業して回ったんです」
ほとんどは門前払い。それでもくじけずに一日数十社を回り、チャンスをつかんだ。
「靴下屋さんなんだけどね、受付で女の子をからかってたら、社長に怒られてね、何してんだって。でも、変わった奴だって話を来てくれたのよ。思いつきで、贈答用の靴下の箱にプラスティックのカバーをつけたらきっと売れるって、提案したんです」
その夏、その会社の贈答用靴下は大ヒットとなった。その後、塚田さんはアイディア商品と、アイデアそのもので事業家として頭角を現していく。五三の特許の持ち主でもある。
事業の話は詳しく話してはいただけないのだが、自らアイデア商品を考案し、製造元と販売元の間をつなぐ、それが塚田さんの事業の中核だった。事業が軌道に乗った頃、塚田の海外に昆虫収集旅行が始まる。
四六歳。これも二一歳の時決めたとおり、会社をたたんで、昆虫三昧の生活に入った。
ーーそれからの資金はどうやって...。
そう訊ねたら、
「そんなこと答える必要ないでしょう。人のお金のことなんか詮索しないでいいの」
と、怒られた。が、
「私はお金を儲けるプロになっちゃったから、一億二億のお金には困らないようになってるの。特許はたいしたお金にはなりません。でもね、アイディアは、商品になるまでが一番輝いているんです。これで商品を作ったら儲かりそうだって時ね。そのアイデアを買ってもらうんです」
ヒントは残してくれた。

世界中の昆虫を集めるのが理想
塚田さんは収集家にとどまらず、昆虫分類学者としても重要な仕事をしている。その一つの結実が蝶類図鑑「東南アジア島嶼の蝶」(全5巻・プラパック社刊)だ。動物の種は「ゾーロジカル・レコード」という国際記録に論文付きですべてリストアップされている。そこに記載されているインドネシア、フィリピンの蝶約二二〇〇種・亜種をすべて写真入りで網羅した大作である。九八%は塚田さんのコレクションにあった。残りはヨーロッパなどの博物館に出張して作った。一冊十数㌢の分厚い図鑑だ。生態や分類学的分析も、自ら執筆している。日本語版だけではなく英語版も発行した。
「この性格だから完璧なものじゃないと満足できないんです。自分の好きな蝶だけ集めて作ったって、そんなの図鑑って言えないからね」
七〇万匹のコレクション収集過程で見つけた新種・新亜種は六〇〇種に及ぶ。その新種は自ら発行する「メモリー・オブ・ツカダコレクション」に記載している。
ゾーロジカルレコードに記録されている世界中の昆虫を集める。それが理想だ。しかし、それは不可能なのだと、塚田さんは言う。
「昆虫は八十万種いるって言われてるんです。潜在的には一千万種ぐらいいると思います。それに、行政的に入れない場所もあるし、険しすぎていけないとこもあるし、もとの自然がなくなって消えたものもあるしね」
つまり、意欲はある、ということなのだ
。 ライフワークにと考えているのは中南米の蝶の図鑑作り。「東アジア島嶼」に準じて亜種まで網羅すると四十巻ぐらいになるのだそうだ。
「好きでやっているだけ」と塚田さんは言うが、昆虫を集めるその姿は、ある種「求道者」のようでもある。塚田さんを高校時代から知る昆虫標本商の西山保典さんは、塚田さんを評して言う。
「自分を律する力が強い人ですね。例えば、今月中にいくつ標本を作るって決めたら、どんなことがあってもやる。図鑑作りでも徹底してやる。なかなかできることじゃいと思うんですよ」
幸せとはお金と時間と健康と趣味。その信念は今も変わらない。週三度のフィットネス通いを三〇年間欠かしたことはない。酒もたばこも健康に悪いことは一切しない。ストレスになるだけだから友人は必要ない。そう言い切る。
塚田コレクションは世界的にも有名だ。寄贈を望む海外の博物館は少なくない。
「見るのが好きで集めてるんですから、元気なうちの寄贈は考えていません。でも、スミソニアン博物館の人から『個人ではなく地球の財産と考えなくてはいけない』と言われ、そうかなって思うようになりましたね。個人の遊びでここまでバカになれる人はいないだろうし、国家事業でやるならともかく、個人で集めるのは、もう無理でしょう」
残念ながら国内の博物館は量が多すぎて全部は引き取れないと及び腰なのだそうだ。
「最終的には海外の博物館にいくことになると思います」
もったいない限りである。
さてこの前予告したこぶちざわ美術館の塚田館長のことについて今日は
紹介します。
とにかく、一つの生き方として素晴らしいと思いますが、盛和塾の稲盛塾長や
他の方と共通するところが多々ありました。
そうです、やると決めたら徹底的にやり抜くのです
大切なのは、「徹底的」「やり抜く」です。
昔から塚田さんの知っている、昆虫商の人のコメントがあとで出てきますが、
昆虫の標本もたとえば、今月10箱作ると決めたら何がなんでも10箱作られた
そうです。
そうです、必ずやるのです
これは、世界中の成功者の共通キーワードです。
ここの点をこれから紹介する文章の中から読み取っていただけければと
思います。
皆様が「がんばろう!」という気持ちになれば私もうれしいです!
塚田悦三さんは21歳のときに決意して、26歳で会社を起こし、
20年で会社を辞め、趣味に生きようと決めたそうです。
では、詳細は下記の文章を見てください。
「幸福の条件はお金と時間と健康と趣味」
「二一歳の時に昆虫を趣味にすることに決めたの」
塚田さんはそう言った。上京し、貧しい暮らしをしていた頃のことだ。
「人生を墓場から見通してみたの。死ぬときに後悔したくないってね。働くだけで終わるなんていやだし、それに、生きてて困るのは退屈でしょう。だからいい趣味を見つけたいと。虫をみてると地球の歴史が分かるって思ってね。でも、最初は無理矢理好きになったんです。こんな馬鹿馬鹿しい虫けらって思ったこともあったけど、ここを乗り越えないと没頭できるまでにはいかないそって。寝食忘れるほどできて趣味だよね」
塚田さんは語る。世界有数の昆虫コレクターは、虫好きが高じて生まれたのではなく、努力の賜物なのだ、と。
戦中の一九三九年、松本市の生まれ。子供時代は、随分貧しかったそうだ。昆虫採集は誰でもやってたことだが、夢中になったことはあった。中学を卒業すると、米屋に勤め、定時制の高校に通った。成績優秀で学長に勧められ、給料と同じだけの奨学金をもらって普通科に移った。
卒業後、父が借金の肩に息子を働かせると約束していた会社に就職。三年間の約束を果たした後、上京した。
二一歳。人生を見通した。
「随分苦労しましたからね。もう大人でした」
幸福になるために必要なものは、お金と時間と健康と、趣味。勤め人じゃたいした金は手にできない。二六歳の誕生日に独立して事業を始め、四六歳からは趣味三昧の生活をする、と決めた。
二三歳までは職を転々とした。デパート、タオル屋、靴下屋、テレビ局で荷物持ち、映画の大部屋俳優...、二年間で十二の仕事を経験した。
「資本金がないから、事業するには経験と思ったのよね。それだけじゃないよ。食べるのに必死だから、少しでも条件のいいところと思ってね」
二十歳そこそこの若者は、働きながら二人の妹を大学に通わせた。
二三歳頃からの三年間はプラスティック関連の貿易会社に勤務。そして、決めたとおり二六歳の五月、誕生日に独立した。
「独立したっていってもね、売るものもないのよ。名詞だけ作って、日本橋あたりの会社をそれこそ、毎日毎日くまなく営業して回ったんです」
ほとんどは門前払い。それでもくじけずに一日数十社を回り、チャンスをつかんだ。
「靴下屋さんなんだけどね、受付で女の子をからかってたら、社長に怒られてね、何してんだって。でも、変わった奴だって話を来てくれたのよ。思いつきで、贈答用の靴下の箱にプラスティックのカバーをつけたらきっと売れるって、提案したんです」
その夏、その会社の贈答用靴下は大ヒットとなった。その後、塚田さんはアイディア商品と、アイデアそのもので事業家として頭角を現していく。五三の特許の持ち主でもある。
事業の話は詳しく話してはいただけないのだが、自らアイデア商品を考案し、製造元と販売元の間をつなぐ、それが塚田さんの事業の中核だった。事業が軌道に乗った頃、塚田の海外に昆虫収集旅行が始まる。
四六歳。これも二一歳の時決めたとおり、会社をたたんで、昆虫三昧の生活に入った。
ーーそれからの資金はどうやって...。
そう訊ねたら、
「そんなこと答える必要ないでしょう。人のお金のことなんか詮索しないでいいの」
と、怒られた。が、
「私はお金を儲けるプロになっちゃったから、一億二億のお金には困らないようになってるの。特許はたいしたお金にはなりません。でもね、アイディアは、商品になるまでが一番輝いているんです。これで商品を作ったら儲かりそうだって時ね。そのアイデアを買ってもらうんです」
ヒントは残してくれた。

世界中の昆虫を集めるのが理想
塚田さんは収集家にとどまらず、昆虫分類学者としても重要な仕事をしている。その一つの結実が蝶類図鑑「東南アジア島嶼の蝶」(全5巻・プラパック社刊)だ。動物の種は「ゾーロジカル・レコード」という国際記録に論文付きですべてリストアップされている。そこに記載されているインドネシア、フィリピンの蝶約二二〇〇種・亜種をすべて写真入りで網羅した大作である。九八%は塚田さんのコレクションにあった。残りはヨーロッパなどの博物館に出張して作った。一冊十数㌢の分厚い図鑑だ。生態や分類学的分析も、自ら執筆している。日本語版だけではなく英語版も発行した。
「この性格だから完璧なものじゃないと満足できないんです。自分の好きな蝶だけ集めて作ったって、そんなの図鑑って言えないからね」
七〇万匹のコレクション収集過程で見つけた新種・新亜種は六〇〇種に及ぶ。その新種は自ら発行する「メモリー・オブ・ツカダコレクション」に記載している。
ゾーロジカルレコードに記録されている世界中の昆虫を集める。それが理想だ。しかし、それは不可能なのだと、塚田さんは言う。
「昆虫は八十万種いるって言われてるんです。潜在的には一千万種ぐらいいると思います。それに、行政的に入れない場所もあるし、険しすぎていけないとこもあるし、もとの自然がなくなって消えたものもあるしね」
つまり、意欲はある、ということなのだ
。 ライフワークにと考えているのは中南米の蝶の図鑑作り。「東アジア島嶼」に準じて亜種まで網羅すると四十巻ぐらいになるのだそうだ。
「好きでやっているだけ」と塚田さんは言うが、昆虫を集めるその姿は、ある種「求道者」のようでもある。塚田さんを高校時代から知る昆虫標本商の西山保典さんは、塚田さんを評して言う。
「自分を律する力が強い人ですね。例えば、今月中にいくつ標本を作るって決めたら、どんなことがあってもやる。図鑑作りでも徹底してやる。なかなかできることじゃいと思うんですよ」
幸せとはお金と時間と健康と趣味。その信念は今も変わらない。週三度のフィットネス通いを三〇年間欠かしたことはない。酒もたばこも健康に悪いことは一切しない。ストレスになるだけだから友人は必要ない。そう言い切る。
塚田コレクションは世界的にも有名だ。寄贈を望む海外の博物館は少なくない。
「見るのが好きで集めてるんですから、元気なうちの寄贈は考えていません。でも、スミソニアン博物館の人から『個人ではなく地球の財産と考えなくてはいけない』と言われ、そうかなって思うようになりましたね。個人の遊びでここまでバカになれる人はいないだろうし、国家事業でやるならともかく、個人で集めるのは、もう無理でしょう」
残念ながら国内の博物館は量が多すぎて全部は引き取れないと及び腰なのだそうだ。
「最終的には海外の博物館にいくことになると思います」
もったいない限りである。


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